架空鉄道は、文字通り「実在しない架空の鉄道」ですから、誰かが実在しない鉄道を空想したとすれば、その時点でその人の脳内には"架空鉄道が存在している"ということになります。
ウェブできる以前、実在しない想像上の鉄道を表現することはなかなか容易ではありませんでしたが、鉄道模型や出版物と言う形で目に見える形にすることは可能でした。
特に模型のレイアウトなどで、古くから「◯◯鉄道」という名称を作者がつけることが多く、単にレイアウトの名称として命名されることも少なくはなかったが、中には、レイアウトで具現化した(実在しない)鉄道の世界に対して様々な設定を与え、独自の世界観を作り上げたものも存在しました。
そのような作品に関しては、作者が頭の中で想像した鉄道の世界を模型を使用して表現したとも言え、「鉄道模型のレイアウト」という形で表現した架空鉄道だと思います。
架空鉄道の同人誌を刊行したサークルとしては、遠坂拓氏が関わったOKET刊行会や山形大学鉄道経営研究会が、1990年半ばに活動した記録が残っています。
1990年代半ば、ウェブが一般に普及しだすと、インターネット上にウェブサイトを公開し、架空鉄道を表現しようと試みる者が現れるようになりました。ウェブ上にウェブサイトを開設することは、紙などを使う方法などと比べて個人でも容易に情報発信ができるようになったからです。
架空鉄道コンテンツを公開したウェブサイトがいつ頃から存在したのかは定かではないが、記録に残っている限りでは、1996年12月31日に開設された北武急行電鉄サイトが、現存する架空鉄道サイトの中では最古の部類であると考えられます。
ウェブ上で架空鉄道を公開するという動きが広まってくると、今度はそのウェブを通じて同じ趣味の者が、他の架空鉄道サイトを探す、もしくは自分が作ったサイトを宣伝する、あるいは他の趣味者との交流を図ると言った目的でコミュニティ・ポータルサイトが開設されるようになりました。
一般向けコミュニティサイトとしての先駆けは、1999年に開設された日本架空鉄道協会(初代)が挙げられます。運営者サイドによる登録型リンク集と交流用の掲示板を備え、「架空鉄道コミュニティのパイオニア」を自らも喧伝していました。
その他、一時期同人誌刊行という形で活動していたOKET刊行会・山形大学鉄道経営研究会も、1998年に両者が融合すると共に会員用コミュニティサイトとしてVRSを開設していたが、2000年3月には一般に開放される形でリニューアルし、登録しやすさ・高機能な点から、一般向け架空鉄道コミュニティサイトとしては先発だった日本架空鉄道協会(初代)を超える人気を博しました。
2000年から2001年にかけて、Web架空鉄道趣味界を代表する2大コミュニティサイトが出揃い、Web上における架空鉄道趣味者層の拡大に大きく寄与しました。
しかし、Webによって気軽に架空鉄道を公開できるようになった反面、ややもするとコンテンツの作成よりも、コミュニティサイトへのネタの投稿をメインにする架空鉄道趣味者(俗に言う"会社ごっこ的な架空鉄道")が増加し、例えば、台風や大雪といった悪天候の度にネタのバラマキ的な投稿が溢れたり、またコミュニティ上で参加者同士がトラブルを起こすなど、コミュニティが混乱する事態が発生することが多くなっていきました。
そうした傾向は、2001年9月11日にアメリカ合衆国内で発生した航空機ハイジャックによる同時多発テロが、VRSの「プレスリリース」上でネタにされた時点で最高潮に達し、積み重なるトラブルの影響もあり、当時Web架空鉄道界最大のコミュニティサイトであったVRSはその2日後に閉鎖されることとなりました。
その後VRSに代わるコミュニティサイトの再建が試みられたが、VRS時代の"中身(コンテンツ)がろくに無い架空鉄道"の濫造や、「プレスリリース」上での価値のない情報の氾濫や、あるいは架空鉄道同士の乗り入れそのものが話題になるような掲示板のあり方などに嫌気を差し、架空鉄道の中身(コンテンツ)そのものをもっと向上させていこうと言う動きが生じました。
どの結果、コミュニティは実質的に2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)上の「ええ架空鉄道。」スレッド、リンク集やサイトの宣伝の役割を果たすポータルサイトは架空鉄道NAVIと別れ、VRSが稼働していた当時とは異なる形態となっていきました。
「ええ架空鉄道。」スレッド上における議論は、それまであまり注目されなかった架空鉄道制作技術を深化させていくことになり、架空鉄道サイトにおけて、本来一番重要であるはずのコンテンツ(他者に見てもらいたい想像上の鉄道を表現したもの)に力を注ぐ傾向を生み出し、見応えのある架空鉄道サイトの増加につながりました。
Web架空鉄道において、架空鉄道の中身(コンテンツ)そのものを充実させようという動きは、架空鉄道制作技術の向上・普及に寄与したが、同時に他の架空鉄道サイトに対する見方が厳しくなることとなり、そうした動きについていけない者たちによる「コテハン批判」(本来匿名掲示板である「2ちゃんねる」上の「ええ架空鉄道。」スレッドで、固定ハンドルによる投稿が幅を利かせているのはおかしいのではないか、という点が批判された)を発生させることとなり、以後コミュニティ上で先鋭的に架空鉄道制作論を追求する動きは収束していきました。
上記の「コテハン批判」が背景にあり、その後は鉄道架空板や架空鉄道チャット上にて、架空鉄道制作論的な話題を含む様々な話題の話が引き続き展開されたり、人気投票である架空鉄道最萌トーナメント(第一回・第二回)が開催されるなどして、2002年~2003年当時のWeb架空鉄道趣味界はコミュニティ的には比較的盛り上がった状況にありました。
しかし、2003年7月に堀田事件が発生し、これらコミュニティはその機能が事実上停止することとなり、架空鉄道コミュニティサイトは以後動きが少なくなっていきました。
架空鉄道ポータルサイトとしての架空鉄道NAVIは現在に至るまで最大のポータルとしての地位を占めているが、コミュニティに関してはその機能をあまり持たず、他のサイトが受け持っていたため、各種トラブルとともにコミュニティサイトは盛衰を繰り返しました。
堀田事件以後、特に2000年代後半になると嗜好が合う趣味者同士でコミュニティを作り、分化する傾向が強くなったために、かつての日本架空鉄道協会(初代)、VRSの2大コミュニティ時代のように、Web架空鉄道趣味界を代表するようなコミュニティサイトは出てこなくなりました。
とは言え、各所に目を向ければ、Twitterなどのコミュニティツール上で特定の架空鉄道趣味者のコミュニケーションがされていたり、ニコニコ動画にて架空鉄道動画をUPすると共にコミュニティが発生したり、あるいはしたらば掲示板上などでの架空鉄道趣味者同士の交流は継続されており、コミュニティが無くなったというわけではありません。
また、架空鉄道NAVI上でも新規の架空鉄道の登録はなおも継続して行われていることから、(サイトの内容はともかく)Web上における架空鉄道趣味自体はある程度定着している状況ではないかと考えられます。
その他Web以外の模型や同人誌による架空鉄道の表現を志す動きも、多くはないが今だ健在しています。
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